からだを動きやすくするのに、まず必要なのは、ムダな力を抜く事。
ムダな力を抜くには、自分がムダな力を入れれると気づくこと。
思うように動けない時に「ないもの」「足らないもの」を考えて、付け加える事で解決しようとする。
それが正解の時もあります。
でも、いろんなものを持ちすぎると、動けなくなる事もあるように、ムダな力を抜くと言う発想もありではないでしょうか?
重りを持つのも、筋力をつけるためではなく、ムダな力を入れている自分に気づくため。
そう考えれば、90kgが100kgになれば....って話じゃないって事なんではないでしょうか?
強い者が生き残ったり、強い者が必ず勝つわけではない。
環境に適応して、共存できる者が生き残り、強くなくても勝ち残る。
ムダな力が抜ければ、息もしやすくなります。動きやすくなります。痛みも減ります。そして、トレーニング効果も出やすくなります。
そこに、気づくためのきっかけづくりが、自分の仕事の本質かと.....
ウエイトトレーニングや、バランス系のトレーニングを否定するわけではなく、やり方の問題で。
ムダな力を抜く方向で重りを扱い、その結果90kg→100kgになったとしたら、筋力もアップしたのかも知れませんが、その重さのものを動かせる力が出せる様になった。とも言えると思います。
いろいろな、バランス系のトレーニングや体幹を鍛えるトレーニングが溢れてますが、○○の筋肉を意識して使う。とか、○○の筋肉で耐える、キープするでは、力は入りますが、動ける様になるかは疑問です。
そのやり方では、どんなに強くなったとしても、動き出すには、一度力を抜かないと動き出せませんし.....
なにかしら、やりたいことがあってからだを動かす。それをやるために、からだの形、手足胴体の位置関係がこうなれば、目的を果たせる。その形になるのに筋肉が収縮する。
その為の筋肉が発達したり、残ったりしただけで、筋肉があって運動が起こったわけでも、その動きをするために骨格がこうなったわけでもない。
はじまりは、逆ですよね。そうしているうちに、こうなった。たまたま、2本足で歩いちゃっただけです(笑)
ずいぶん、脱線しましたが.....
そんな事を思いつつ、日々仕事しております。
わかりやすく、文字や言葉で、表現しようとすると、かなり危ないと言うか、極論と言うか.....
頭のおかしい人的なものになっちゃうんですよねえ(^_^;)
頭がおかしいのは、否定できないですが(笑)
重力に逆らって立ち、動く時点で、完全に力を抜く事は不可能です。だから、ムダな力が入ってる事にも気づきにくい。とも言えると思います。
なるべく、重力と仲良くする事。仲良くできるからだになること。仲良くできるこころになること.....
こう言うのは、書きはじめると結局、まとまらないんですよね。
きっと、まだまだ本質が掴みきれていないので。